子供が成長した時の寂しさ

子どもの成長にはその都度感動させられます。そして喜ばしいものです。ですがその反面、さみしさを感じずにはおれません。
子どもが幼稚園に入園してしばらく。幼稚園の門まで送って「行ってらっしゃい」と手を振った時。そしてその子どもが小学校に入学してしばらく。家の玄関先で「行ってらっしゃい」と手を振った時。さみしいと思いました。そして、家でひとりでお昼ご飯を食べる時、さみしいと思います。

 

抱っこにおんぶにとまるで身体の一部のように存在していた子どもが、いつも隣で手を握りしめてきた子どもが、成長して離れていくたびにさみしいと感じるのだと思います。
今のところこのさみしさは一時的なもので、毎日繰り返すうちに当然になりさみしさも薄れていきます。
ですが、今はまだ幼く肉体的にも精神的にも体当たりでぶつかってくる子どもが、この先反抗期を迎え精神的に、さらに成長して物理的にも離れていくことを考えると、さみし過ぎて、今のうちに心の準備をしておかなければならないと思います。
そのさみしさを紛らわせるため、ペットを飼いたいと思い始めました。ペットに我が子のように話しかけ、我が子のように接する飼い主の気持ちが、今ではよく分かるような気がしてきました。ここでつい先日、川のカモにパン屑を上げていた年配の女性を思い出しました。飼っていた犬が死んでしまい、生まれたばかりのひ孫は遠方でなかなか会えずさみしいとのこと。そのさみしさをカモへの餌やりで紛らわせているのです。パン屑を持って柵をカンカンと叩くとカモが寄ってくるのです。

 

ペットを飼うこと、これは本質的な対処にはならないようです。それよりも仕事なり趣味なりの、自分自身が没頭できる何かを見つけることの方がより良い対処になると思います。なぜならば、自分自身が目標を持って、自分自身の達成や成長を喜ぶことのできる環境の中での方が、子どもの成長をより客観的に見つめ、喜べると思うからです。そして、子どもが巣立った後もさみしがっているような暇はなくなるでしょうから。
子どもが少しずつ手を離れていくこの時期に、自分は何をしたいのか何ができるのかを考える事、試していくことが、将来のさみしさへの対処になると考えています。